紅白歌合戦の歴史は古く、第二次世界大戦終結直後の1945年にラジオで放送された「紅白音楽試合」がその始まりとされています。
当初は1回だけの特別番組で放送されたものの、大変な反響を呼び、1951年から「紅白歌合戦」という今と同じ
タイトルで、新年の番組としてNHKラジオで1951年の1月3日に午後8:00〜9:00、1時間番組として放送されました。
番組は何がとび出すか分からない「Xアワー」で、出場歌手・趣旨などは一切発表されなかったそうです。
司会は白:藤倉修一アナウンサーと、紅:加藤道子で行われ、計14組が出場した。
-白組の出演者-
鶴田六郎(港の恋唄) 、林伊佐緒(銀座夜曲) 、近江俊郎(湯の町エレジー) 、鈴木正夫(常盤炭坑節) 、楠木繁夫(紅燃ゆる地平線) 、東海林太郎(赤城かりがね)、藤山一郎(長崎の鐘)
-紅組の出演者-
菅原都々子(憧れの住む町) 、暁テル子(リオのポポ売り) 、菊池章子(母紅梅の唄) 、赤坂小梅(三池炭坑節) 、松島詩子(上海の花売娘) 、二葉あき子(星のためいき) 、渡辺はま子(桑港のチャイナタウン )
初優勝の栄冠は白組に輝き、リーダー藤山一郎を中心に「エイ・エイ・オー」の勝ちどきがわき起こったそうです。
そして、1954年の第4回からはテレビ放送開始とともに会場を使おうとするが、正月で使える会場がなく、やむなく大晦日に開催。これが大晦日の特番の由縁となり、お茶の間の風物詩となりました。
1962年の第13回から導入された視聴率の調査によると、第13回と第14回は80%を超える驚異の視聴率を獲得。その後も長らく70%を超える視聴率をキープし続けてきました。
さすがに最近ではテレビの多チャンネル化で視聴率は低下傾向にあるものの、それでも30%の視聴率を記録する大晦日の定番番組の座に君臨し続けています。
|